"長野電鉄"カテゴリーの記事一覧
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この連休は皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。
天気が変わりがちだったり荒天だったりと出かけても不発に終わることも少なからずあったのですが、GWの最後を締めくくる「まるまど祭り」と同時開催のたまでんクラブ合宿は良い天気の中で過ごすことができ、充実した連休となりました。
さて、メインターゲットとなる上田電鉄の「まるまど祭り」は5/5開催。
その前日から長野へと乗り込んで廃止後1カ月強が経った長野電鉄屋代線の廃線跡を訪れてみました。
須坂駅構内をまたぐ跨線橋から眺める景色は3月までとまったく変わらず。
それもそのはず、須坂駅構内の旧屋代線部分は入換等で使われているためこの地点から眺める分には変化は見られません。
屋代線運用が減った分「なんとなく3500系の留置数が多いかな?」という感じはします。
※信濃川田にO1編成が旅立っているから?
→屋代線の日中は常に1編成が行ったり来たり
=日中の留置数としては変わってなかったり。
…気のせいですね(苦笑
上の写真にもちょっと写っていますが、2000系もまだその姿をとどめていました。
現役車両と違って屋根の外ではありますが、まだまだキレイな姿を保っています。
というか、ちょっと雨が降っていたからかツヤツヤしてますね(笑
バスの時刻まで一通りの観察と昼食をとり、いざ代行バスへ。
発車直前になって、有料駐車場から出てきた(!)代行バス。
このバスに乗って1ヶ月ぶりの屋代線の旅に向かったのでした。
本当はブログで簡単に触れるぐらいにしようかと思っていたのですが、この後思いのほかに写真を撮りまくってしまいました。
現役時代の写真で紹介しきれていないものも多数あるため、せっかくなのでHPの方にページを作ってみることにしました。
http://srcfactory.ninpou.jp/YashiroLine_1.html
↑のURLよりご覧ください。
さすがに一気に更新はできないので、少しずつアップしていきます。
これからの訪問の写真も、過去の写真(といっても最大で数年前までですが汗)も少しずつ増やしていきたいと思いますので、どうぞご覧ください。
3月に毎週長電に通った結果、ブログ記事がほぼそれだけになってしまった反省もあります(笑
そんなわけでHP更新報告も含めましてのブログ更新でした。
ここ数年毎回行っている、まるまど祭りの写真たちの処遇も検討中ですw -
屋代行きの最終列車が発車した頃、須坂駅改札前ではあるツアーの受付が開始されました。
「ありがとう・さようなら屋代線 ファイナルツアー」
”屋代線の定期最終列車のあとに、ツアー参加者限定の貸切臨時列車を運行!同日に引退する2000系D編成を使用し、まさに最後の最後のツアーを実現しました。”という触れ込み。
そう、このツアーの使用列車は2000系D編成。
そりゃあ参加するしかない、とばかりに予約受付開始日の夕方には予約を完了していたのでした。
21時。誘導により我々ツアー客が降り立った向かったのはまさかの須坂駅5番線。
もちろん4番線は最終松代行きのためのホームですから、当然といえば当然なのですが。
私としては最初で最後の5番線からの2000系への乗車となったのでした。
普段は間近に見ることのできない5番線の表示と2000系。静かに発車の時を待ちます。
運転台の計器の光が温かい色をしてますね。
デジタルも好きだけど、かっこいいけど、こっちの方が好き。
須坂駅を定刻で発車。
松代駅で屋代からの定期最終列車と交換、松代を出ると屋代まで走る最後の列車となりました。
気づけば屋代駅へと到着。
屋代駅を出る最後の列車との時を思い思いに過ごします。
罵声も怒号もなく、ただただ静かな時が流れていました。
ヒンヤリとした空気の中、発車を待つ2000系を屋代駅のベンチから眺める。
最後のすごく贅沢な時間でした。
屋代からの帰りは本当に最後の屋代線列車となります。
そして2000系にとっても、最後の運行。
通過する各駅、踏切、時には沿線の家々からも見送る人々が。
駅を通過後には最後尾からホイッスルが鳴らされ、別れを惜しむように須坂への道を突き進んでいきます。
そんな中で停車した綿内駅。何かあったのかとざわめきが広がる車内はさらにヒートアップする事態に。
なんと3500系O1編成に牽かれた2000系A編成が登場。
綿内駅で本当に最後のA編成とD編成の並びが実現しました。
長電さんもなんとまぁにくいことを…
この後、3500系とA編成は信濃川田まで走行したようですね。
綿内を出れば井上を通過して終着須坂はすぐそこです。
最後の最後で心地よく快走し、列車は須坂駅4番線へと滑りこんだのでした。
これで屋代線を走る列車はすべて終了。
2000系の運行も終了。
1964年に製造されてから今日まで、本当によく走り続けたもんです。
最後に先頭車の前では関係者や役員の方々、長野電鉄の笠原社長まで見えられて簡単な引退セレモニーが。
「長い間お疲れ様」と足周りと連結器に日本酒がかけられました。
ここまでしてもらえて2000系は本当に幸せな車ですね。
2000系に一目ぼれして(笑)追いかけ初めてから5年。
早かったようで、よくあれから5年ももってくれた、というのが正直な感想です。
屋代線廃止に思うところは色々ありますがそれはとりあえず置いておいて。
2000系D編成、屋代線、長い間お疲れ様でした。
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長電2000系D編成、そして屋代線の最終日となった3月31日、彼らとのお別れに行ってきました。
なかなかうまい言葉も言い回しも思いつかないので、写真メインで。
なんとか朝までもっていた天気も明るくなるにつれて雨が降り始め、屋代線との別れを惜しむような涙雨に。
涙雨…を越えて号泣レベルの土砂降りになってしまいました。
全国的に荒れ模様の天気で新幹線が止まったとの情報も流れる中、屋代線は一生懸命に走り続けてくれました。
時々雪が混じるほど大荒れだった雨も午後には止み、晴れ間も覗き始めた頃、松代からの臨時急行が須坂へ戻ってきました。
須坂→松代→須坂で設定された臨時急行には1000系S2編成が充当されました。
1000系最後の屋代線走行ですね。
この時4番線には定期の屋代行きが停車していたため、まさかの5番線入線を見せてくれました。
そして時は流れ…
20時24分。
L2編成を使用した屋代行き最終列車が発車していきました。
松代から先、屋代まで行く定期最終列車です。
大きな混乱もなく、静かに走り去って行きました。
屋代行きが出た後、残るは最終の松代行きのみ。
ラストへと盛り上がりつつある熱気の中、ファイナルツアーへの受付を済ませたのでした。