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桜咲車両工場ブログ支区

桜咲車両工場の別館。 工作記録を中心に、名古屋から鉄道まみれの日々をお送りします。

東武特急スペーシアXと日光・鬼怒川旅行~その2
日光・鬼怒川旅行の続きです。

東武鉄道のモデルコースを移動しているような雰囲気になりつつあるのですが、スペーシアX1号で東武日光に到着して若干の観光を済ませ再び移動を開始します。

東武日光へ戻ると、4番線ホームには既にSL大樹「ふたら72号」が4番線に据え付けられていました。
この日の牽引機C11-123号機は出自が江若鉄道、雄別炭礦や釧路開発埠頭を渡り歩いたということで根っからの「私鉄機」と言えるのですが、パッと見ての印象はやはり国鉄蒸気。
この形式が"東武"日光駅に止まっていて、リバティと並んでいるというのは情報量が多すぎて飲み込むのに時間が掛かります。
※ご存じの方も多いかとは思いますが、国鉄のC11-123号機は苫小牧所属で本機とは無関係。東武での復活時に123号機と名付けられたものとなります。出自が私鉄機だからこその命名なのかもしれません。

東武鉄道で運行される蒸気機関車は基本的にATSを搭載した車掌車ヨ8000を機関車次位に連結して運転していましたが、123号機についてはATS搭載の改造を受け2024年4月13日から「SL単独での牽引(※DL補助は継続)」が始められました。

鬼怒川温泉駅での入換の手間などを考えると理解できる改造ではありますが、この時代になってなお形態を変えたC11が誕生するというのは驚くばかりです。




乗車したのは展望車へ改造されたオハテ12-1(旧オロ12-5)。
記号の通りオロの面影はなく、ハザの座席が誂えられているほか、全体的に木目調に仕上げられておりデコラを多用し「近代化」された12系そのものとはまた違った雰囲気です。
一般的な観光客に向けては、「レトロなBOX席」と「木目調で綺麗な車内」で十分の訴求効果があり、かつ客層の多くはそうした利用客でしょうから、「12系そのもの」を繋いでもなかなか難しいでしょうね。

さてさて、12系の話はあまり本題ではなく。
この日の客車は茶色編成で「スハフ14-5+オハテ12-1+スハフ14-501」の編成。
そう、元・はまなす用客車のスハフ14-501が連結されているのです。




茶色になったとはいえ「JR北海道」「五稜郭車両センター」の銘板もそのままに、青森~札幌を行き来していた車が栃木をのんびり走っているというのも不思議な感覚です。
茶色になった14系自体は「すずらん」編成で見慣れているものの、赤帯が無く「まっ茶色の14系」は初見で新鮮です。



この日のDLは朱色の1099号機。青函付近にいたカマではないものの、DE10+縦雨樋付きの14系500番台というのは急行はまなすの青森駅ホーム据え付けを思い出させる組み合わせです。
SLの転回を見に大半のお客さんが改札外に出た後の鬼怒川温泉駅のホームで、こっちの組み合わせを堪能させていただきました。





車内の方はというと、ありがたいことに北海道時代の要素が色濃く残されており、「JR北海道」の表記まで残されているのはもはや「粋」ですね。
最近の酷暑を考えると、ある意味「車内保温」のため妻の引戸は閉めておいた方が良さそうです。



鬼怒川温泉駅からの撤収前、野岩鉄道6050系との並びも見ることが出来ました。
既に使い古された言葉かもしれませんが、模型の世界のような並びです。このような時代が来るとは思いもしませんでした。


ちなみに、乗車翌日のSL大樹はC11-207号機の登板だったようで。
207号機と茶色の14系…ジェネリックすずらん号ですかね。123号機とは異なりスノープラウ付き・2ツ目の北海道仕様なのがいい感じです。

施設整備やおもてなしなど気合の入ったSL大樹運行がいつまでも続いてくれることを祈るばかりです。

そうこうしている内に訪問から1カ月近くが経ってしまったのですが、この週末2024/8/24からオハ14-505「ドリームカー」の連結が始まりました。
https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/sl_topics/20240719193219Vx4820OmHrXnx05SGIqYXg.pdf
(※PDF注意)

TLで追いかけると、当時のままの状態で走っているそうで…見に行く予定をねじ込めなさそうなのが残念です。。

10年以上ぶりの日光・鬼怒川訪問でしたが、当時との変わりようと東武鉄道の力の入れようから「また行きたい」と思わせられるようなエリアになっていました。
特にスペーシアXのコックピットラウンジは再履修必須です。

~おまけ?~



HDDをさばくったところ、2015年1月撮影のスハフ14-501の写真が出てきました。
まさかこのような形で再会することとなろうとは、この当時は思いもしませんでした。


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