桜咲車両工場ブログ支区

桜咲車両工場の別館。 工作記録を中心に、名古屋から鉄道まみれの日々をお送りします。

屋代線カウントダウン・ファイナル~最終回~
屋代行きの最終列車が発車した頃、須坂駅改札前ではあるツアーの受付が開始されました。

「ありがとう・さようなら屋代線 ファイナルツアー」

”屋代線の定期最終列車のあとに、ツアー参加者限定の貸切臨時列車を運行!同日に引退する2000系D編成を使用し、まさに最後の最後のツアーを実現しました。”という触れ込み。
そう、このツアーの使用列車は2000系D編成
そりゃあ参加するしかない、とばかりに予約受付開始日の夕方には予約を完了していたのでした。

21時。誘導により我々ツアー客が降り立った向かったのはまさかの須坂駅5番線。
もちろん4番線は最終松代行きのためのホームですから、当然といえば当然なのですが。
私としては最初で最後の5番線からの2000系への乗車となったのでした。

IMG_5902.JPG普段は間近に見ることのできない5番線の表示と2000系。静かに発車の時を待ちます。

運転台の計器の光が温かい色をしてますね。
デジタルも好きだけど、かっこいいけど、こっちの方が好き。






























須坂駅を定刻で発車。
松代駅で屋代からの定期最終列車と交換、松代を出ると屋代まで走る最後の列車となりました。

気づけば屋代駅へと到着。
IMG_5931.JPG



































屋代駅を出る最後の列車との時を思い思いに過ごします。
罵声も怒号もなく、ただただ静かな時が流れていました。

ヒンヤリとした空気の中、発車を待つ2000系を屋代駅のベンチから眺める。
最後のすごく贅沢な時間でした。

屋代からの帰りは本当に最後の屋代線列車となります。
そして2000系にとっても、最後の運行。

通過する各駅、踏切、時には沿線の家々からも見送る人々が。
駅を通過後には最後尾からホイッスルが鳴らされ、別れを惜しむように須坂への道を突き進んでいきます。


そんな中で停車した綿内駅。何かあったのかとざわめきが広がる車内はさらにヒートアップする事態に。
なんと3500系O1編成に牽かれた2000系A編成が登場。

IMG_6008.JPG



































綿内駅で本当に最後のA編成とD編成の並びが実現しました。
長電さんもなんとまぁにくいことを…

この後、3500系とA編成は信濃川田まで走行したようですね。

綿内を出れば井上を通過して終着須坂はすぐそこです。
最後の最後で心地よく快走し、列車は須坂駅4番線へと滑りこんだのでした。

これで屋代線を走る列車はすべて終了。
2000系の運行も終了。
1964年に製造されてから今日まで、本当によく走り続けたもんです。

IMG_6040.JPG
























最後に先頭車の前では関係者や役員の方々、長野電鉄の笠原社長まで見えられて簡単な引退セレモニーが。
「長い間お疲れ様」と足周りと連結器に日本酒がかけられました。

ここまでしてもらえて2000系は本当に幸せな車ですね。



2000系に一目ぼれして(笑)追いかけ初めてから5年。
早かったようで、よくあれから5年ももってくれた、というのが正直な感想です。

屋代線廃止に思うところは色々ありますがそれはとりあえず置いておいて。

2000系D編成、屋代線、長い間お疲れ様でした。

コメント

コメントを書く