桜咲車両工場ブログ支区

桜咲車両工場の別館。 工作記録を中心に、名古屋から鉄道まみれの日々をお送りします。

新得町開拓120周年記念ツアー
10月第2週の北海道行き、今度は新得町開拓120周年を記念して開催された「キハ40系で行く 石勝線信号所停車の旅」に参加しました。



国内各地に被害をもたらした台風19号通過の直後ではありましたが、北海道はそれを感じさせない好天。
あれから1ヶ月が経ちますが、まだまだ復興ならない地域も多く改めてお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興を祈るばかりです。



臨時列車はタラコ色の(←追分)キハ40-777+キハ40-1749(新得→)の2両編成。
追分方と新得方でヘッドマークのデザインが異なるのがニクいところ。

このヘッドマーク2種とサボ4枚は往路の車内でオークションが行われ、落札した参加者のもとへと旅立ったいきました。
追分方のヘッドマークなどかなり大型ですから、家での保管も相当に大変そうです(笑



列車は約3時間かけ新得~追分駅間を走破。ツアー名通り各信号場へ「各駅停車」しながらの旅です。
普段は特急の車窓を一瞬で流れていく信号場をゆっくりと(車内から)見回せるだけでなく、基本的に特急列車しか走らない区間を、窓が開くキハ40で走破するのはなかなかない経験です。

根室本線が分岐する上落合信号場、1986(昭和61)年に廃止された鬼峠信号場など要所要所で説明の案内放送があるのですが、いかんせん走行音で半分くらいしか聞き取れません(苦笑

とはいえそこは好きな人が集まった列車、聞こえなくともその内容はあらかた把握されていて、異様な興奮が車内に充満したまま追分までの3時間を過ごしたのでした。
(どうも1号車と2号車にかなりの温度差があったような気がしたのですが、あれは一体何だったのか…笑)


追分駅到着後は約1時間半の自由時間があり、希望者は「道の駅あびらD51ステーション」へ。
安平町の御協力のもとマイクロバスが用意され、ピストン輸送が行われました。
ただ、道の駅の駐車場に入る車で道が渋滞。バスもそれに巻き込まれてなかなか道の駅に入れず。改めて道の駅あびらの人気の高さがうかがえますね。

そんな訳で折角の機会のため、我々もバスに乗り込んで道の駅へ。




クラウドファウンディングにより実現した、保存車のキハ183-214。
最後は特急オホーツクでの活躍でしたが、引退後ポリカ窓を外されて国鉄特急色に。

「200番台なのに国鉄特急色で、JNRマーク付き、行先表示は新幕」と廃車後もなおバリエーションが増えるのはさすがキハ183、といった所でしょうか。
この記事を書いている11月時点では、既に冬ごもりでブルーシートで覆われているようです。

隣に並ぶD51-320は建屋の中に避難できますが、キハ183は野ざらし。
保存されたはいいものの維持・管理が本番です。末永く残される事を祈るばかりです。

ギリギリで運転台見学を終えて帰りのバスへと乗り込み、追分駅から再びキハ40へ乗車。
大きな遅れや混乱もなく無事に新得駅へ無事に戻ったのでした。

開催日は三連休最終日。
このまま新得や帯広で一泊という訳にもいかず、スーパーおおぞら10号で南千歳へとんぼ返り。
先ほど3時間かけた道のりを1時間15分と半分以下で駆け抜け、更に12分で南千歳到着。
日も落ちた車窓には信号場の姿もほとんど見えず、一瞬で南千歳まで着いてしまいました。

道央~道東を結ぶ大動脈である石勝線とはいえ、道東道の開通など状況は厳しく、スーパーおおぞら・スーパーとかちとも、過去と比べると基本編成は減車されてしまった状況が続いています。
貨物輸送も、その先の青函区間でいろいろ話が出ているなど、どうしても明るい話題にはなりにくい雰囲気です。
しかし、十勝平野で取れた農産物が安く内地の我々の元まで届くのは鉄道輸送があってこそのもの。余計な声や短期的な見方に惑わされず、百年の計で物事を考えてほしいところです。

~おまけ~

▲左が14:30発新得行き2548D、右は14:48発釧路行き2427D。 2019.10.13

今回帯広駅に到着後に撮った一枚。
何の気なしに撮ったのですが、1759・757号車ともにタイフォン撤去車でした。
2015年くらいから目撃があがり始めたタイフォン撤去車ですが、よくよく観察するとかなり増えてますね。

調べて見てもさすがに網羅されている方は見つからず、「いつ施工されたのか」はモデラーにとってはこれから悩みの種になりそうです。

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