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製作開始からもう少しで1年経とうとしています。
そんな危機感も心にありつつの作業進行です(笑
今回はコルゲートを再現していきます。
コルゲートの本数がX本で、実車のコルゲート間隔を1/150すると…なんてのは考えてもあまり一致しないもの。
私はエイヤッとばかりに「模型的に見栄えのいい位置」を探しています。
もちろん資料として実車写真を参考にし、上端と下端だけはきっちり合わせます。
肩のコルゲートで言えば、下端はドアの上端とほぼ同じくらい、上端は雨樋よりコルゲート1本分くらい下、という具合です。
エイヤッと言ってもコルゲートの間隔が等間隔でなければ見栄えに大きな影響が出るため上端と下端の間はしっかり等間隔にプラ棒を並べてあげる必要があります。
今回使用したのはPlastruct社の0.3mm×0.3mmの角棒。
プラストラクトのスチロール製の棒です。建築模型/ジオラマに。【建築模...
価格:420円(税込、送料別)
店頭で探した中では最細であり、使ってみたところちょうど良い感じになりましたので正式採用となりました。
上下端を決めてから真ん中の位置を決めます。
肩部分はコルゲート5本ですから中心が出せてやりやすいですね。
指で押さえて緑キャップを流し込み固定します。
多少多めに流しても緑キャップならあまり目立たないこと、また最終的にペーパーがけも行うので気にせずバンバン流し込みました。
指まで固定しない程度に(笑
完成後はこんな感じ。
フリーで位置決めした割にはきれいにできました。
この後耐水ペーパーで接着剤の流し込み後と角棒の角を撮ります。
グレーに塗った車体と白のプラ棒というコントラストでだいぶ目立ちますが、上から塗ってしまえばそこまでは目立たない、というとこまで実証済み。
10本で420円とそこそこいい値段のプラ棒ですが、これは良いものを見つけたようです。 -
「7700系7910Fが帯を剥がされた」という話を聞きつけ、
久々に東急池上線・多摩川線の撮影に出かけてみました。
移動しながらの運用調査の結果…
<池上線>
01:1021F
02:1019F
03:1023F
04:7102F
05:7101F
06:7914F
07:1022F
08:7901F
09:7103F
10:7104F
<多摩川線>
21:7107F
22:1024F
23:7903F
24:1013F
25:710*F
…というような具合で7910Fはおろか7600系すら運用についていないという始末。
落胆しつつも蒲田駅南方の踏切で撮影はしっかりしてきました(笑
※補足
東急線では上り方が編成番号になりますので、7700系だと79xxFと呼称されているため、当方でも呼びなれたこの記載で記事を書いています。(会社的に公式がどうかはわかりません)
▲池上線03ウ 1023F
▲多摩川線22ウ 1024F
蒲田駅の南方には池上線・多摩川線が分岐する部分に踏切があり、中洲のようになった部分でいい具合に撮ることができます。踏切からの撮影なので望遠レンズが望ましいところですね。
以前コンデジで挑戦した時は、相当ズームができないとなかなか厳しい感じでした。
▲池上線上り7914Fと多摩川線下り7908F
両線の着発タイミングがずれているため、時々離合を撮影することもできます。
今日は7700系の歌舞伎塗装とノーマル仕様がすれ違ってくれました。
7908Fの方がちょっと見切れてますが…(苦笑
▲多摩川線24ウ 1013F
この日唯一のネタ車、1013Fを撮って撤収しました。
登場当初は4+4で8連を組んでいたため、貫通扉が中央に設置されている上、普通の1000系の扉よりちょっと奥まっています。
ちょっと彫りが深くなってノーマルの1000系とはまたイメージが変わってきますね。
また数少ないスカートをはいていない編成、というのも特筆できます。
模型的にも面白いネタなのですが、たまでんクラブメンバーは誰かしらがやりそうなので、とりあえずは見送り、という心づもりでいます(笑
そんなわけで空振りに終わってしまった池上線の撮影。
天気も思わしくなかったので、GW中にでもリベンジへ行くこととしましょう。 -
2011年の10月以来のこのカテゴリー。
この間6ヶ月、記事にできないくらい少しずつ作業していました(苦笑
前回記事(http://srcfactory.blog.shinobi.jp/Entry/402/)はベンチレーターを載せたところで終わっていますね。
あれからMc車の屋根にはパンタ台が載り、Tc車が箱になっています。
そんなわけで前回の続きということで屋根上パンタ台の設置工事から記事を再開していきましょう。
使用するのはTOMIXのPS13パンタ(確か)に付属してくるパンタ台・ランボードパーツです。
プラ成型の割に固定用のボルトまで再現されている優れ物。
切り離す前にパンタ台の底を斜めに削っておきます。
切り出してしまうと削りにくくなってしまいますから、ランボードを取っ手にすれば削りやすいですね。
ベンチレータ―の方は現物合わせで設置位置を決めていきます。
パンタを置いてマジックで位置を記録、パンタ台を設置する前に先に穴を開けてしまいます。
パンタ台の固定は開けた穴にパンタがちゃんとはまるかどうかを確認した後。
そんなわけでパンタの位置も決まりパンタ台を設置、固定。
ついでに配管予定箇所をペンで罫書いておきました。
ランボードは後から設置しますのでパンタ周りについてはとりあえずこれで一旦作業終了。
続いてコルゲートの再現作業に入ります。
<おまけのお知らせ>
久々に本家HPの方を更新してみました。
3月いっぱいで引退となった119系の写真を追加しました。
→こちらhttp://srcfactory.ninpou.jp/railway_central_EC119.html
昨年東三河に引っ越してから撮り始め、その後すぐに完全置き換えが発表、気づけば全編成引退とかなり急速な展開でした。。
時間的制約もあり結局全編成コンプリートは叶わず仕舞い。それでも大半の編成を記録することができましたので、徐々にアップしていけたらと思います。
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長野行きが続いた3月でしたが、合間を見て模型も作っていました。
…といっても諸々の仕掛かりを置いてサクッとできるフリーランス車ですが(笑
2月に発売された鉄コレ弘南鉄道6000系。
東急からの譲渡車、かつ2両編成ということで最初から悪巧みありきで2箱4両を購入。
2パターンの塗装に塗ってみました。
双方とも上田電鉄カラーではあるのですが(笑)、片方はまるまどりーむ仕様、片方は帯仕様にしてみました。
実車はもちろん上田電鉄には譲渡されていません。5000系/5200系が譲渡されていました。
それゆえ「完全な」フリーランス、となりました。
それでもちょっと似合う…と思うのは製作者だから?(笑
製品の前面窓に印刷された行先表示はうすめ液で落とし、車内側からステッカーを貼り直しました。
ステッカーはGMの東急行先ステッカーからの流用。
7200系用とあって6000系の窓より少し横長ですので両端をギリギリまで切り落として裏から貼っています。
さらにそれぞれの編成の片側にTNカプラーを装備。
なぜかというと…
これができるようにです!
2両で走らせてもいいのですが、運転会などではどうしても見栄えがしない…というのは単行で走らせて経験済み。
そんなわけで4両編成にすることでもうちょっと存在感を出せるように、という魂胆なのでした。
どこまで通用するかな…?(笑
たまでんクラブブログではまるまどりーむ仕様の方を取り上げてみましたのでこちらもご覧ください。
http://tamaden-club.sakura.ne.jp/index.php?itemid=818&catid=14
そんなわけで新たな上田電鉄カラーの車両が仲間に加わったのでした。 -
屋代行きの最終列車が発車した頃、須坂駅改札前ではあるツアーの受付が開始されました。
「ありがとう・さようなら屋代線 ファイナルツアー」
”屋代線の定期最終列車のあとに、ツアー参加者限定の貸切臨時列車を運行!同日に引退する2000系D編成を使用し、まさに最後の最後のツアーを実現しました。”という触れ込み。
そう、このツアーの使用列車は2000系D編成。
そりゃあ参加するしかない、とばかりに予約受付開始日の夕方には予約を完了していたのでした。
21時。誘導により我々ツアー客が降り立った向かったのはまさかの須坂駅5番線。
もちろん4番線は最終松代行きのためのホームですから、当然といえば当然なのですが。
私としては最初で最後の5番線からの2000系への乗車となったのでした。
普段は間近に見ることのできない5番線の表示と2000系。静かに発車の時を待ちます。
運転台の計器の光が温かい色をしてますね。
デジタルも好きだけど、かっこいいけど、こっちの方が好き。
須坂駅を定刻で発車。
松代駅で屋代からの定期最終列車と交換、松代を出ると屋代まで走る最後の列車となりました。
気づけば屋代駅へと到着。
屋代駅を出る最後の列車との時を思い思いに過ごします。
罵声も怒号もなく、ただただ静かな時が流れていました。
ヒンヤリとした空気の中、発車を待つ2000系を屋代駅のベンチから眺める。
最後のすごく贅沢な時間でした。
屋代からの帰りは本当に最後の屋代線列車となります。
そして2000系にとっても、最後の運行。
通過する各駅、踏切、時には沿線の家々からも見送る人々が。
駅を通過後には最後尾からホイッスルが鳴らされ、別れを惜しむように須坂への道を突き進んでいきます。
そんな中で停車した綿内駅。何かあったのかとざわめきが広がる車内はさらにヒートアップする事態に。
なんと3500系O1編成に牽かれた2000系A編成が登場。
綿内駅で本当に最後のA編成とD編成の並びが実現しました。
長電さんもなんとまぁにくいことを…
この後、3500系とA編成は信濃川田まで走行したようですね。
綿内を出れば井上を通過して終着須坂はすぐそこです。
最後の最後で心地よく快走し、列車は須坂駅4番線へと滑りこんだのでした。
これで屋代線を走る列車はすべて終了。
2000系の運行も終了。
1964年に製造されてから今日まで、本当によく走り続けたもんです。
最後に先頭車の前では関係者や役員の方々、長野電鉄の笠原社長まで見えられて簡単な引退セレモニーが。
「長い間お疲れ様」と足周りと連結器に日本酒がかけられました。
ここまでしてもらえて2000系は本当に幸せな車ですね。
2000系に一目ぼれして(笑)追いかけ初めてから5年。
早かったようで、よくあれから5年ももってくれた、というのが正直な感想です。
屋代線廃止に思うところは色々ありますがそれはとりあえず置いておいて。
2000系D編成、屋代線、長い間お疲れ様でした。
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長電2000系D編成、そして屋代線の最終日となった3月31日、彼らとのお別れに行ってきました。
なかなかうまい言葉も言い回しも思いつかないので、写真メインで。
なんとか朝までもっていた天気も明るくなるにつれて雨が降り始め、屋代線との別れを惜しむような涙雨に。
涙雨…を越えて号泣レベルの土砂降りになってしまいました。
全国的に荒れ模様の天気で新幹線が止まったとの情報も流れる中、屋代線は一生懸命に走り続けてくれました。
時々雪が混じるほど大荒れだった雨も午後には止み、晴れ間も覗き始めた頃、松代からの臨時急行が須坂へ戻ってきました。
須坂→松代→須坂で設定された臨時急行には1000系S2編成が充当されました。
1000系最後の屋代線走行ですね。
この時4番線には定期の屋代行きが停車していたため、まさかの5番線入線を見せてくれました。
そして時は流れ…
20時24分。
L2編成を使用した屋代行き最終列車が発車していきました。
松代から先、屋代まで行く定期最終列車です。
大きな混乱もなく、静かに走り去って行きました。
屋代行きが出た後、残るは最終の松代行きのみ。
ラストへと盛り上がりつつある熱気の中、ファイナルツアーへの受付を済ませたのでした。
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3月25日の長電訪問の続きです。
この日、長野電鉄で2000系D編成使用のイベント列車が運転されました。
運転区間は長野~湯田中~須坂~屋代~須坂。今回は2000系最後の山之内線区間入線となりました。
湯田中、志賀高原へと向かうために導入された2000系。その目的地でもあった山之内線への最終入線はやはり山之内線区間で撮りたくなってしまいます。
そんなわけで今までチャレンジできていなかった夜間瀬の鉄橋で撮影することに。
2000系入線前に定期運用のスノーモンキーが湯田中まで1往復します。
2100系には申し訳ないながら"練習"になってしまうわけですが…同車を沿線でまともに撮るのは実は初めて(汗
上りスノーモンキーが信濃竹原に入線すると同時に警笛吹鳴、臨時の2000系がやって来ました。
通いなれた志賀高原への道もこれが最後。
しかしそう感じるのは人間だからで電車はそんな寂しさも感じさせず快調に走り去って行きました。
折り返した小布施駅では普段使われない本屋側の1番線へ入線、定期列車同士の交換を退避します。
ここでは下りのゆけむりとの並びが発生。時刻表から想定できているとはいえ現場は軽いパニック状態に(笑
なんとか間から撮らせてもらって並びを押さえることができました。
やがて発車時刻に―
撮影者のほとんとがツアー参加者だったようで、発車間際には我々含め数人に。
小布施発車はかなり落ち着いた状態で撮影できました。
車利用だったので夜間瀬鉄橋のように沿線に出て撮影してもよかったのですが、やはり「少しでも長く見ることができる」駅を選択してしまうあたりやはり自分は本物の撮り鉄ではないなぁ、と思ったり(笑
~ちょっと思い出~
昨年の2月、2000系A編成引退前の最後の訪問、A編成最後の撮影が小布施駅でした。
その後3月末に行われたラストランには都合により参加できなかったため2000系現役最後の撮影が小布施駅だったんですね。
タイミングではあるのですが、その小布施駅への(自分の見られる)最後の入線はやはり撮っておきたい、という思いがあり、小布施駅へ寄ったのでした。
▲2011年2月5日撮影
~ここまで思い出~
2000系の撮影を終え、最後は松代駅へ。
最近、どう「生きた線路」を撮りたくなってきています。
もちろん電車メインの写真主体なのですが、こうしたローカル線を訪れるとつい。
廃線後、設備の多くが当時の姿のまま放置されている場合が多いですが、放棄され錆が浮いたり破損したり…という姿はどうしても悲しくなってしまいます。
彼らは安全のために「生きて」いてこその存在。そんな生きていた証を残したい…と思ったり。
あぁ、いかん、なんかセンチメンタルな感じに…
屋代線廃止、2000系引退前最後の長電訪問を終え、この写真を最後に撤収しました。
次に訪問できるのは、31日の引退日だけ。
最後の最後まで、見届けたいと思います。 -
先週末も長野電鉄へ行ってきましたよ!
…しかし今回は寄り道付き(笑
実家で野暮用を済ませた後の深夜1時。
たまでんクラブ谷風氏の自宅に近づく一台の怪しい車…
そんなわけで深夜1時に谷風さんを拉致と合流し、一路北へと向かったのでした。
埼玉県を縦断し群馬県に入ってから上信越道へ入り…夜が完全に明ける頃には第一目的地へ到着。
ドンッ!
そんなわけで今回は長電へと行く前に上田電鉄へ寄り道したのでした。
城下の駅で上り初電を撮影することができました。
朝の透き通った空気…は写真から感じるのは難しいですが(笑)、後ろの山々が朝日で赤く照らされているのが印象的でした。
続いてお馴染みの下之郷カーブへ。
霜が降りた田んぼの中を先ほどの1001Fが下ってきました。
朝は逆光で顔は暗くなりがちなのですが、ステンレスが朝日に輝く様は際立ちますね。
3月後半にも関わらずまだまだ冬のような写真になりました。
陽もだいぶあがってきた頃、今度は八木沢駅へと移動。
もうひとつのお気に入り撮影地でもある八木沢駅下り方のカーブで撮影。
別所線の際急勾配区間はこの八木沢~別所温泉間。たった2両でも1両目・2両めで角度が違うのはその急勾配の証ですね。
最後は城下駅での上下列車交換を撮影。
通常ここでの交換はなく、朝夕限定の光景となります。
この日は装飾の施されていない、東急時代のままの2本が交換してくれました。
1000系自体が並ぶのは見慣れた光景ですが、前パン1000系の交換する姿はここだけ。
いやぁ、いいもの見れました(笑
そんなわけでこれにて上田を後にし、臨時列車の運転される長野電鉄へと向かったのでした。