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2011年の10月以来のこのカテゴリー。
この間6ヶ月、記事にできないくらい少しずつ作業していました(苦笑
前回記事(http://srcfactory.blog.shinobi.jp/Entry/402/)はベンチレーターを載せたところで終わっていますね。
あれからMc車の屋根にはパンタ台が載り、Tc車が箱になっています。
そんなわけで前回の続きということで屋根上パンタ台の設置工事から記事を再開していきましょう。
使用するのはTOMIXのPS13パンタ(確か)に付属してくるパンタ台・ランボードパーツです。
プラ成型の割に固定用のボルトまで再現されている優れ物。
切り離す前にパンタ台の底を斜めに削っておきます。
切り出してしまうと削りにくくなってしまいますから、ランボードを取っ手にすれば削りやすいですね。
ベンチレータ―の方は現物合わせで設置位置を決めていきます。
パンタを置いてマジックで位置を記録、パンタ台を設置する前に先に穴を開けてしまいます。
パンタ台の固定は開けた穴にパンタがちゃんとはまるかどうかを確認した後。
そんなわけでパンタの位置も決まりパンタ台を設置、固定。
ついでに配管予定箇所をペンで罫書いておきました。
ランボードは後から設置しますのでパンタ周りについてはとりあえずこれで一旦作業終了。
続いてコルゲートの再現作業に入ります。
<おまけのお知らせ>
久々に本家HPの方を更新してみました。
3月いっぱいで引退となった119系の写真を追加しました。
→こちらhttp://srcfactory.ninpou.jp/railway_central_EC119.html
昨年東三河に引っ越してから撮り始め、その後すぐに完全置き換えが発表、気づけば全編成引退とかなり急速な展開でした。。
時間的制約もあり結局全編成コンプリートは叶わず仕舞い。それでも大半の編成を記録することができましたので、徐々にアップしていけたらと思います。
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長野行きが続いた3月でしたが、合間を見て模型も作っていました。
…といっても諸々の仕掛かりを置いてサクッとできるフリーランス車ですが(笑
2月に発売された鉄コレ弘南鉄道6000系。
東急からの譲渡車、かつ2両編成ということで最初から悪巧みありきで2箱4両を購入。
2パターンの塗装に塗ってみました。
双方とも上田電鉄カラーではあるのですが(笑)、片方はまるまどりーむ仕様、片方は帯仕様にしてみました。
実車はもちろん上田電鉄には譲渡されていません。5000系/5200系が譲渡されていました。
それゆえ「完全な」フリーランス、となりました。
それでもちょっと似合う…と思うのは製作者だから?(笑
製品の前面窓に印刷された行先表示はうすめ液で落とし、車内側からステッカーを貼り直しました。
ステッカーはGMの東急行先ステッカーからの流用。
7200系用とあって6000系の窓より少し横長ですので両端をギリギリまで切り落として裏から貼っています。
さらにそれぞれの編成の片側にTNカプラーを装備。
なぜかというと…
これができるようにです!
2両で走らせてもいいのですが、運転会などではどうしても見栄えがしない…というのは単行で走らせて経験済み。
そんなわけで4両編成にすることでもうちょっと存在感を出せるように、という魂胆なのでした。
どこまで通用するかな…?(笑
たまでんクラブブログではまるまどりーむ仕様の方を取り上げてみましたのでこちらもご覧ください。
http://tamaden-club.sakura.ne.jp/index.php?itemid=818&catid=14
そんなわけで新たな上田電鉄カラーの車両が仲間に加わったのでした。 -
屋代行きの最終列車が発車した頃、須坂駅改札前ではあるツアーの受付が開始されました。
「ありがとう・さようなら屋代線 ファイナルツアー」
”屋代線の定期最終列車のあとに、ツアー参加者限定の貸切臨時列車を運行!同日に引退する2000系D編成を使用し、まさに最後の最後のツアーを実現しました。”という触れ込み。
そう、このツアーの使用列車は2000系D編成。
そりゃあ参加するしかない、とばかりに予約受付開始日の夕方には予約を完了していたのでした。
21時。誘導により我々ツアー客が降り立った向かったのはまさかの須坂駅5番線。
もちろん4番線は最終松代行きのためのホームですから、当然といえば当然なのですが。
私としては最初で最後の5番線からの2000系への乗車となったのでした。
普段は間近に見ることのできない5番線の表示と2000系。静かに発車の時を待ちます。
運転台の計器の光が温かい色をしてますね。
デジタルも好きだけど、かっこいいけど、こっちの方が好き。
須坂駅を定刻で発車。
松代駅で屋代からの定期最終列車と交換、松代を出ると屋代まで走る最後の列車となりました。
気づけば屋代駅へと到着。
屋代駅を出る最後の列車との時を思い思いに過ごします。
罵声も怒号もなく、ただただ静かな時が流れていました。
ヒンヤリとした空気の中、発車を待つ2000系を屋代駅のベンチから眺める。
最後のすごく贅沢な時間でした。
屋代からの帰りは本当に最後の屋代線列車となります。
そして2000系にとっても、最後の運行。
通過する各駅、踏切、時には沿線の家々からも見送る人々が。
駅を通過後には最後尾からホイッスルが鳴らされ、別れを惜しむように須坂への道を突き進んでいきます。
そんな中で停車した綿内駅。何かあったのかとざわめきが広がる車内はさらにヒートアップする事態に。
なんと3500系O1編成に牽かれた2000系A編成が登場。
綿内駅で本当に最後のA編成とD編成の並びが実現しました。
長電さんもなんとまぁにくいことを…
この後、3500系とA編成は信濃川田まで走行したようですね。
綿内を出れば井上を通過して終着須坂はすぐそこです。
最後の最後で心地よく快走し、列車は須坂駅4番線へと滑りこんだのでした。
これで屋代線を走る列車はすべて終了。
2000系の運行も終了。
1964年に製造されてから今日まで、本当によく走り続けたもんです。
最後に先頭車の前では関係者や役員の方々、長野電鉄の笠原社長まで見えられて簡単な引退セレモニーが。
「長い間お疲れ様」と足周りと連結器に日本酒がかけられました。
ここまでしてもらえて2000系は本当に幸せな車ですね。
2000系に一目ぼれして(笑)追いかけ初めてから5年。
早かったようで、よくあれから5年ももってくれた、というのが正直な感想です。
屋代線廃止に思うところは色々ありますがそれはとりあえず置いておいて。
2000系D編成、屋代線、長い間お疲れ様でした。
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長電2000系D編成、そして屋代線の最終日となった3月31日、彼らとのお別れに行ってきました。
なかなかうまい言葉も言い回しも思いつかないので、写真メインで。
なんとか朝までもっていた天気も明るくなるにつれて雨が降り始め、屋代線との別れを惜しむような涙雨に。
涙雨…を越えて号泣レベルの土砂降りになってしまいました。
全国的に荒れ模様の天気で新幹線が止まったとの情報も流れる中、屋代線は一生懸命に走り続けてくれました。
時々雪が混じるほど大荒れだった雨も午後には止み、晴れ間も覗き始めた頃、松代からの臨時急行が須坂へ戻ってきました。
須坂→松代→須坂で設定された臨時急行には1000系S2編成が充当されました。
1000系最後の屋代線走行ですね。
この時4番線には定期の屋代行きが停車していたため、まさかの5番線入線を見せてくれました。
そして時は流れ…
20時24分。
L2編成を使用した屋代行き最終列車が発車していきました。
松代から先、屋代まで行く定期最終列車です。
大きな混乱もなく、静かに走り去って行きました。
屋代行きが出た後、残るは最終の松代行きのみ。
ラストへと盛り上がりつつある熱気の中、ファイナルツアーへの受付を済ませたのでした。
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3月25日の長電訪問の続きです。
この日、長野電鉄で2000系D編成使用のイベント列車が運転されました。
運転区間は長野~湯田中~須坂~屋代~須坂。今回は2000系最後の山之内線区間入線となりました。
湯田中、志賀高原へと向かうために導入された2000系。その目的地でもあった山之内線への最終入線はやはり山之内線区間で撮りたくなってしまいます。
そんなわけで今までチャレンジできていなかった夜間瀬の鉄橋で撮影することに。
2000系入線前に定期運用のスノーモンキーが湯田中まで1往復します。
2100系には申し訳ないながら"練習"になってしまうわけですが…同車を沿線でまともに撮るのは実は初めて(汗
上りスノーモンキーが信濃竹原に入線すると同時に警笛吹鳴、臨時の2000系がやって来ました。
通いなれた志賀高原への道もこれが最後。
しかしそう感じるのは人間だからで電車はそんな寂しさも感じさせず快調に走り去って行きました。
折り返した小布施駅では普段使われない本屋側の1番線へ入線、定期列車同士の交換を退避します。
ここでは下りのゆけむりとの並びが発生。時刻表から想定できているとはいえ現場は軽いパニック状態に(笑
なんとか間から撮らせてもらって並びを押さえることができました。
やがて発車時刻に―
撮影者のほとんとがツアー参加者だったようで、発車間際には我々含め数人に。
小布施発車はかなり落ち着いた状態で撮影できました。
車利用だったので夜間瀬鉄橋のように沿線に出て撮影してもよかったのですが、やはり「少しでも長く見ることができる」駅を選択してしまうあたりやはり自分は本物の撮り鉄ではないなぁ、と思ったり(笑
~ちょっと思い出~
昨年の2月、2000系A編成引退前の最後の訪問、A編成最後の撮影が小布施駅でした。
その後3月末に行われたラストランには都合により参加できなかったため2000系現役最後の撮影が小布施駅だったんですね。
タイミングではあるのですが、その小布施駅への(自分の見られる)最後の入線はやはり撮っておきたい、という思いがあり、小布施駅へ寄ったのでした。
▲2011年2月5日撮影
~ここまで思い出~
2000系の撮影を終え、最後は松代駅へ。
最近、どう「生きた線路」を撮りたくなってきています。
もちろん電車メインの写真主体なのですが、こうしたローカル線を訪れるとつい。
廃線後、設備の多くが当時の姿のまま放置されている場合が多いですが、放棄され錆が浮いたり破損したり…という姿はどうしても悲しくなってしまいます。
彼らは安全のために「生きて」いてこその存在。そんな生きていた証を残したい…と思ったり。
あぁ、いかん、なんかセンチメンタルな感じに…
屋代線廃止、2000系引退前最後の長電訪問を終え、この写真を最後に撤収しました。
次に訪問できるのは、31日の引退日だけ。
最後の最後まで、見届けたいと思います。 -
先週末も長野電鉄へ行ってきましたよ!
…しかし今回は寄り道付き(笑
実家で野暮用を済ませた後の深夜1時。
たまでんクラブ谷風氏の自宅に近づく一台の怪しい車…
そんなわけで深夜1時に谷風さんを拉致と合流し、一路北へと向かったのでした。
埼玉県を縦断し群馬県に入ってから上信越道へ入り…夜が完全に明ける頃には第一目的地へ到着。
ドンッ!
そんなわけで今回は長電へと行く前に上田電鉄へ寄り道したのでした。
城下の駅で上り初電を撮影することができました。
朝の透き通った空気…は写真から感じるのは難しいですが(笑)、後ろの山々が朝日で赤く照らされているのが印象的でした。
続いてお馴染みの下之郷カーブへ。
霜が降りた田んぼの中を先ほどの1001Fが下ってきました。
朝は逆光で顔は暗くなりがちなのですが、ステンレスが朝日に輝く様は際立ちますね。
3月後半にも関わらずまだまだ冬のような写真になりました。
陽もだいぶあがってきた頃、今度は八木沢駅へと移動。
もうひとつのお気に入り撮影地でもある八木沢駅下り方のカーブで撮影。
別所線の際急勾配区間はこの八木沢~別所温泉間。たった2両でも1両目・2両めで角度が違うのはその急勾配の証ですね。
最後は城下駅での上下列車交換を撮影。
通常ここでの交換はなく、朝夕限定の光景となります。
この日は装飾の施されていない、東急時代のままの2本が交換してくれました。
1000系自体が並ぶのは見慣れた光景ですが、前パン1000系の交換する姿はここだけ。
いやぁ、いいもの見れました(笑
そんなわけでこれにて上田を後にし、臨時列車の運転される長野電鉄へと向かったのでした。 -
しばらく長野電鉄の記事を続けましたので、ちょいと模型ネタを挟みましょう。
平日の夜はブログを更新するか模型をちょびっといじるか、そして休日は長野へ…というのが3月のパターンのようです(笑
N化改造は現時点では施していないのですが、見栄えを求めとりあえずパンタだけはGM製に取り替えておきました。
編成はGM東急1000系の車番ステッカーから1021Fをチョイス。行先表示・運番表示は付属ステッカーから持ってきました。
本気でやるならhttp://srcfactory.blog.shinobi.jp/Entry/280/の記事の時の用にクーラー塗り分け・アンテナ積替え…などやるのですが、それだといつまでも完成しなさそうなので今回は思いつかなかったことに(笑
その代わり?、車体の方でちょっとした加工をしてみました。
幕部のコルゲートを2.5mmほど削り取ります。塗装はそのまま生かしたいので彫刻刀・カッターナイフで少しずつ少しずつ。
雨樋を削りそうになるのが怖いですね。
ほいで東急ステッカーから持ってきた車外スピーカーステッカーを貼れば完成。
写真では右側がちょっと削り取り足りませんでしたので、この後もうちょっと削り取りました。
ワンマン運転を行う池上・多摩川線では必要不可欠な装備品ですのでちょっと手間をかけて再現してみました。
幕部の物足りなさもなくなりイイ感じです。
ちなみになぜ1021Fにしたかというと…
数年前の1000系の回送の際に撮ったのが1021Fで、当時1000系はまだ菱形パンタの方が主流でしたのでシンパを積むに当たってこの編成を模型化しました。
▲多摩川駅渋谷方で待機する長津田からの出場回送列車
ATCを積んでいない池上・多摩川線の編成は田園都市~大井町~東横線内をデヤに挟まれて走行するのですが、同線内の有効長が最大4両のため、多摩川駅で下り方のデヤが解結されます。
そのため、多摩川駅ではこうして御尊顔を拝見することができたのでした。
学生時代の一日…と言ってしまえばそれまでですが、なんとなく思い出の編成に設定してみたのでした。
※デヤを作るとか作らないとかはまた別の話※ -
3/10~11の週末も長野電鉄に行ってきましたのでその時の話。
記事自体は続番で(笑
この日の三河は雨。昼間から降っていた雨はついぞ止まず、いや~な心持ちのまま夜のR151を北上。
伊那IC付近を越えたあたりでついに雨が雪に変わり、塩尻への最後の山場、善知鳥峠でついに積雪10cmほどに。
命からがら(※大袈裟)松本盆地に降り切るも松本市内も5cmほどの積雪。
またまたギリギリな運転をしつつR19をトレースして長野市へと着いたのでした。
途中で仮眠も挟みましたが松代駅に着いたのは始発列車直前。なんとか間に合いました。
▲「回送」表示の始発須坂行きO2編成 @松代駅
ちょうど須坂行きの始発が須坂から回送されてきました。
▲松代駅に入るO6編成 @松代駅構内
発車時刻が迫る中、営業列車の下り始発が2番線に入ってきます。
線路が雪を被ったままなのが「この日1本目」の証拠ですね。
ハイビームで写真で見ててもかなり眩しい写真に(笑
▲松代駅1・2番線で並ぶO6編成とO2編成
始発を見送って信濃川田駅へ移動。
ちょっと時間が空くので腹ごしらえなどしつつ信濃川田駅へ移動。
屋代から折り返してくるO6編成を捕獲しました。
ここは水っぽい雪で積雪量はイマイチな感じでした。
すぐに移動して恒例の離山隧道へ。
今度は須坂から折り返してくるO2編成を捕獲。かなり暗かったため軽い流し撮りにしてみました。
この後は昼ごろまで粘って大人しく帰る予定だったのですが、ある撮影場所で一緒になった方に「2000系が屋代線に入るそうだ」との情報をいただき、またとない機会と撮影することに。
屋代駅への送り込み回送を岩野~雨宮間で。
この時が一番強かったんじゃないか、というぐらいの雪の降り様。3月にも関わらず真冬のような写真になりました。
屋代駅で169系イベント列車から乗り継いだ乗客を乗せ、須坂へと折り返す臨時列車を同じ場所で。
回送時とはHMが掛け替えられています。
「ありがとう屋代線 急行河東」の周りに歴代の屋代線を走った車両たちが顔を揃え…
と思いきやなぜか8500系がラインナップしてる!?という秀逸なデザイン(笑
2500/2600系と8500系が隣同士で顔を揃えているのが東急好きとしてはなんともいえませんね(笑
この写真を撮った後は眠気もあり特に深追いせず撤収しました。
※上田に寄ったとかはまた別の話(笑)
この日は2000系の朝間定期運用の撮影にも行っていました。
地下区間から飛び出してくる2000系を撮りたい、と前々から思っていたのですがタイミングが悪く…と撮影は最後の最後になってしまいました。
そして他の普通列車は8500系ばかり。
聞きなれた爆音で快走してきます。
それにしても…
スカート付きの第5編成であることも含めて田園都市線用賀~二子玉川にしか見えてこない…
という東急病重度患者なのでした(笑