かの有名な「赤福」ですが、毎月1日には「朔日餅」が限定で発売されます。
お伊勢さんへの「朔日参り」に合わせて売られる、というわけですね。
毎月季節に合わせて売られる餅の種類が変えられ、今月は「萩の餅」ということでおはぎでした。
平日はもちろん行けないわけで、1日が土曜日に当たった今日が初訪問。
到着した4時半にはすでに赤福本店前には人、人、人。さらに自分の後からも次々と。
ちょうど整理券が配り終わられた直後だったようなのですが、整理券の枚数が700枚というんだから驚きです。
この時間から700人を越える人間が赤福を目指して結集。何か熱いものを感じます(笑
整理券がないので大人しく行列へ。
4時45分の発売開始から1時間半ほどで無事にありつくことができました。
持ち帰り用に加えて店内でも食べていきます。
通常の赤福餅と萩の餅を両方注文。
朝の6時台からすごい糖分摂取です(笑
拝観開始の7時を待ってお伊勢さんへお参りして伊勢を後にしたのでした。
降ったりやんだりの雨でしたが、木漏れ日と相まってものすごく神々しい風景。
また朝イチということもあってか人も少なくゆっくりと参拝することができました。
この後は…さっそく峠を攻めます(笑
朔日餅行列で一緒に並んでいたご夫婦に教えてもらった「狭くて面白い道」。
すれ違うのが困難なほどに狭くて行ってみたら面白い、と教えてもらって向かったのですが、想像以上に面白く、そして何より「走り甲斐のある」道でした(笑
伊勢神宮内宮の駐車場からひっそりと始まる県道12号線伊勢南勢線、通称「剣峠」は驚くことに明治23年開通。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E9%81%9312%E5%8F%B7%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%8D%97%E5%8B%A2%E7%B7%9A
太平洋側の五ヶ所湾方面から伊勢へと抜ける街道で、伊勢市側の自然は神宮宮城林として神宮司庁の管轄となっているようです。
全線に渡って舗装はされていましたが、ガードレールどころかデリニエーター(黄色い反射板がついた棒)すらない道が続きます。
あとは県道を示す「ヘキサ」が1本も立っておらず、ガードレールにヘキサステッカーが貼られていただけなのが気になりますね。苔生して傾いたヘキサなど期待していたのですが(笑
五十鈴川へと注ぎこむ沢を渡る橋はどれも古く、「大正十五年架換」「昭和二年架換」などと親柱に彫られていました。
写真の松尾橋は昭和二年架換。
かなり初期のころのコンクリート橋、ということになりますね。
今から122年前にはすでにこの道が切り開かれ、86年も前からこの橋はこの姿でここに存在する。
歴史を肌で感じる、というと安っぽいですが、そこを自分が通っていくというというのはすごい出会いなような気がします。
この峠のサミット部分は手前から「幅員1.8m制限」がかけられています。
自分の車は車幅約1.7m。実際はもうちょっと余裕がある感じがしますが、残り10cmのギリギリです(笑
幅員1.8m制限がかかるのは少し手前なのでこんな切り通しがあることは予想できなかったのですが、これを見ると納得ですね。
ギリギリまで上りつめ、限界を感じさせるような感じで切り通しで峠を制覇する。
極力自然に逆らわない(当時の技術力の限界もあるのでしょうが)ように作られた道、というのはどこか味があります。
…橋と隧道で山々を貫いていく現代土木技術のまた違った迫力も大好物なんですけどね(笑
隧道だったとしてもおかしくない高さの壁がそそり立つ切り通し、というのはスゴイ迫力です。
峠を越えて五ヶ所の集落へと着いた後はまさに「広々とした」2車線道路で鳥羽へと戻り、伊勢湾フェリーで伊良湖港へと移動。
車+運転手が6500円、同乗者1人を合わせて8000円という値段は高いのか安いのか。
高速で割引がかなり効く今の時代では少し高い部類かもしれませんね。
再び高騰しつつあるガソリン代、高速料金、長距離の高速運転による疲労を考えるとトントン、という気がしないでもないですが。
そんなわけで渥美半島を縦断し、豊橋へと戻ってきたのでした。
<おまけ>
伊勢湾フェリーには通常の船室の1フロア上に「特別室」というのがあるようです。
問題はその案内放送。
「前略~特別席がございます。ご利用にはμシート券をお買い求めの上~後略」
みゅ、μシート券?
訳すとミューチケット…?
調べると元々は名鉄が出資に参加(近鉄と折半だったようです)してたようですので、その名残が残っているのでしょうか。
鉄オタだからこそ気になってしまうワードですね(笑
お伊勢さんへの「朔日参り」に合わせて売られる、というわけですね。
毎月季節に合わせて売られる餅の種類が変えられ、今月は「萩の餅」ということでおはぎでした。
平日はもちろん行けないわけで、1日が土曜日に当たった今日が初訪問。
到着した4時半にはすでに赤福本店前には人、人、人。さらに自分の後からも次々と。
ちょうど整理券が配り終わられた直後だったようなのですが、整理券の枚数が700枚というんだから驚きです。
この時間から700人を越える人間が赤福を目指して結集。何か熱いものを感じます(笑
整理券がないので大人しく行列へ。
4時45分の発売開始から1時間半ほどで無事にありつくことができました。
持ち帰り用に加えて店内でも食べていきます。
通常の赤福餅と萩の餅を両方注文。
朝の6時台からすごい糖分摂取です(笑
拝観開始の7時を待ってお伊勢さんへお参りして伊勢を後にしたのでした。
降ったりやんだりの雨でしたが、木漏れ日と相まってものすごく神々しい風景。
また朝イチということもあってか人も少なくゆっくりと参拝することができました。
この後は…さっそく峠を攻めます(笑
朔日餅行列で一緒に並んでいたご夫婦に教えてもらった「狭くて面白い道」。
すれ違うのが困難なほどに狭くて行ってみたら面白い、と教えてもらって向かったのですが、想像以上に面白く、そして何より「走り甲斐のある」道でした(笑
伊勢神宮内宮の駐車場からひっそりと始まる県道12号線伊勢南勢線、通称「剣峠」は驚くことに明治23年開通。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E9%81%9312%E5%8F%B7%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%8D%97%E5%8B%A2%E7%B7%9A
太平洋側の五ヶ所湾方面から伊勢へと抜ける街道で、伊勢市側の自然は神宮宮城林として神宮司庁の管轄となっているようです。
全線に渡って舗装はされていましたが、ガードレールどころかデリニエーター(黄色い反射板がついた棒)すらない道が続きます。
あとは県道を示す「ヘキサ」が1本も立っておらず、ガードレールにヘキサステッカーが貼られていただけなのが気になりますね。苔生して傾いたヘキサなど期待していたのですが(笑
五十鈴川へと注ぎこむ沢を渡る橋はどれも古く、「大正十五年架換」「昭和二年架換」などと親柱に彫られていました。
写真の松尾橋は昭和二年架換。
かなり初期のころのコンクリート橋、ということになりますね。
今から122年前にはすでにこの道が切り開かれ、86年も前からこの橋はこの姿でここに存在する。
歴史を肌で感じる、というと安っぽいですが、そこを自分が通っていくというというのはすごい出会いなような気がします。
この峠のサミット部分は手前から「幅員1.8m制限」がかけられています。
自分の車は車幅約1.7m。実際はもうちょっと余裕がある感じがしますが、残り10cmのギリギリです(笑
幅員1.8m制限がかかるのは少し手前なのでこんな切り通しがあることは予想できなかったのですが、これを見ると納得ですね。
ギリギリまで上りつめ、限界を感じさせるような感じで切り通しで峠を制覇する。
極力自然に逆らわない(当時の技術力の限界もあるのでしょうが)ように作られた道、というのはどこか味があります。
…橋と隧道で山々を貫いていく現代土木技術のまた違った迫力も大好物なんですけどね(笑
隧道だったとしてもおかしくない高さの壁がそそり立つ切り通し、というのはスゴイ迫力です。
峠を越えて五ヶ所の集落へと着いた後はまさに「広々とした」2車線道路で鳥羽へと戻り、伊勢湾フェリーで伊良湖港へと移動。
車+運転手が6500円、同乗者1人を合わせて8000円という値段は高いのか安いのか。
高速で割引がかなり効く今の時代では少し高い部類かもしれませんね。
再び高騰しつつあるガソリン代、高速料金、長距離の高速運転による疲労を考えるとトントン、という気がしないでもないですが。
そんなわけで渥美半島を縦断し、豊橋へと戻ってきたのでした。
<おまけ>
伊勢湾フェリーには通常の船室の1フロア上に「特別室」というのがあるようです。
問題はその案内放送。
「前略~特別席がございます。ご利用にはμシート券をお買い求めの上~後略」
みゅ、μシート券?
訳すとミューチケット…?
調べると元々は名鉄が出資に参加(近鉄と折半だったようです)してたようですので、その名残が残っているのでしょうか。
鉄オタだからこそ気になってしまうワードですね(笑
コメント