桜咲車両工場ブログ支区

桜咲車両工場の別館。 工作記録を中心に、名古屋から鉄道まみれの日々をお送りします。

名鉄谷汲線 廃線跡訪問
所用で岐阜へ行く機会があったため、ついでとばかり谷汲線の廃線跡をつまみ食いで巡って来ました。
※勿論、車とはいえマスク着用や手指の消毒、要所要所での手洗い等感染防止対策は行いつつの活動です。


▲写真ではよく見慣れた忠節橋。旭川の旭橋も似た形状ですね。
2005年に廃止された岐阜市内線を始めとする名鉄600V区間。
特に岐阜市内線は忠節駅を挟んで揖斐線との直通運転が行われていたという事もあり、郊外区間の高床車(しかも古豪!)がそのまま路面区間に乗り入れて来るという興味深い路線でした。

今回は時間が限られていましたので、2001年に廃止された谷汲線の3箇所を見て回ってきました。
廃止されてから19年。様々な方が廃線跡訪問の写真等をアップされていますが、最新の姿という事でどうぞお付き合い下さい。


▲黒野駅を忠節・岐阜方より望む
まずは「黒野駅レールパーク」として保存・活用されている黒野駅跡地へ。




当時の2・3番線ホームが残されています。
2番線側に残っている線路、線形は当時のままのようなのですが枕木がコンクリートに変えられています。どこかのタイミングでコンクリート製に替えられたのでしょうか。
(検索してみたものの、分からず…)

事故防止のためかホームに上がる事はできませんでしたので、両脇からグルグルとホームを観察。
スロープには1番線へのルート(構内踏切)を示すペイントが消えかかりつつも残っています。



また、3番線の谷汲方には閉塞表示灯が残されていました。
黒野駅の廃止から15年経ちますが、かなり綺麗な状態で残されていたのは嬉しい発見です。

さて、表示灯にも書かれている次の交換駅である北野畑駅跡に向かいたいと思います。



▲更地~北野畑間 2020.8

北野畑駅へ向かう途中、県道にだんだんと寄り添って来る廃線跡。
踏切部分の線路こそ撤去されているものの、警報機の台座や「名鉄らしい」白く塗られた古タイヤの柵も残されています。

1944年頃に休止となった(とされる)八王子坂駅があったのはこのあたりのようです。




更に進むと北野畑駅跡に到着です。
駅舎などは綺麗さっぱり無くなっていますが、基礎のコンクリートやホームに向かう通路・構内踏切な跡などがくっきり分かります。

下り線側が藪化してきており1面1線だったようにも見えてしまいますが、島式ホームの交換駅でした。
黒野~谷汲のほぼ中間地点に位置する同駅ですが、回りには駅前らしい箇所はほとんどなく(というか建物が建てる余地がほとんどない?)、気付かずに一回は通り過ぎてしまったくらいでした。

ここでタブレット交換が行われていた、というのは映像を見ていないとにわかには信じられないくらいです…


▲北野畑~赤石(写真は上り列車の進行方向です)

北野畑から先の区間も廃線跡がよく残っており、北野畑から赤石駅までの区間には線路脇の柵が残されています。
名鉄では珍しく(?)いうもの青色の柵ではなく黄色のパイプ柵なのが特徴的ですね。

一度通り過ぎてから赤石駅→北野畑方向に再度車を走らせ、同行者に撮影して貰いました。
この角度だと今にも走って来そうな雰囲気が残っています。





最後は終点の谷汲駅。
駅構内がそのまま残されており、改札窓口もシャッターを開ければそのまま営業できるのではというくらい。掲げられた運賃表も残されていました。

また、駅構内にはモ755・モ514が非常に綺麗な状態で保存されています。
黒野方の線路が一部残されており、イベント時にはアントでモ755を移動させての体験乗車も行われているそうで。
廃止の5年前に建て替えられた新しい駅舎という事もあるのかもしれませんが、廃止から19年経ってもこうして綺麗に残されているというのは相当な手間が掛かるものと思います。
募金ぐらいしか協力できませんが、これからも是非保存を続けていただければと願うばかりです。

600V区間の廃線跡は他にも訪問しているので、折を見てまたアップ出来ればと思います。

そういえば長野電鉄屋代線の廃線跡定点観測的な事をホームページの方でやっていましたが、完全に放り投げてしまってますね…

~おしまい~

コメント

コメントを書く