屋代線を一旦離脱して向かったのは長野線の村山橋。
久々の訪問だったのですが、恐るべきことに「駐車場付きお立ち台」が設置されていました。

このように解説の看板が設置され、モニュメントとして旧橋の親柱や切り出したトラス構体などが展示されています。
そして線路側は胸の高さほどのフェンスが設置されまさに「撮ってください」と言わんばかり。

▲8500系T5編成
…より撮りやすくなったかも…(笑
そんなわけで数本の列車を撮影した後、メインディッシュが登場。

昨年夏の撤退が撤回され、春まで生き延びた2000系D編成です。
朝の須坂~長野間1往復しか運用が無くなってしまいましたが、それでも走らせてくれる長野電鉄さんには本当に感謝ですね。
1964年生まれでほぼ50年選手の同車がまさか最新のロングレール・弾性軌道区間を走るようになるとは夢にも思いませんでした。まったくもって不思議な取り合わせです。

通過後に振り返って撮影。(トリミング済)
よく見ると長野方の行先表示がローマ字無しの表示になっていますね。

安全運転で須坂駅へ急行し(笑)、入換を眺めます。
やはりホームはプチパニック状態だったわけですが、遠くから眺めてみるとかなり貴重な?並びになっていました。
引退後構内に留置されている2000系A編成と営団仕様となった3500系O6編成、2000系D編成が並びました。

すぐに開始される入換えを同じ位置から眺めます。
一旦下り方へ引上げてから留置線へ入線、折り返して車庫へと入っていきます。
そしてなぜこんなにも素早く入換え・入庫が行われるかというと…

定期の下り特急が後を追いかけてくるからなんですね。
さらに後方にこの後のイベント用1000系が待機していたことで長野電鉄特急車3代が並びました。ちょっと無理矢理ですが(笑

初めて見た時、この丸みを帯びた車体に惚れ込みました。
古いデザインと言ってしまえばそれまでですが、これが50年前に設計され、製造された車が今もきれいな状態で走っているというのは奇跡とも言えたのではないかと思います。
引退まで1ヶ月を切りました。最終日まで無事に走りきって欲しいものです。
久々の訪問だったのですが、恐るべきことに「駐車場付きお立ち台」が設置されていました。
このように解説の看板が設置され、モニュメントとして旧橋の親柱や切り出したトラス構体などが展示されています。
そして線路側は胸の高さほどのフェンスが設置されまさに「撮ってください」と言わんばかり。
▲8500系T5編成
…より撮りやすくなったかも…(笑
そんなわけで数本の列車を撮影した後、メインディッシュが登場。
昨年夏の撤退が撤回され、春まで生き延びた2000系D編成です。
朝の須坂~長野間1往復しか運用が無くなってしまいましたが、それでも走らせてくれる長野電鉄さんには本当に感謝ですね。
1964年生まれでほぼ50年選手の同車がまさか最新のロングレール・弾性軌道区間を走るようになるとは夢にも思いませんでした。まったくもって不思議な取り合わせです。
通過後に振り返って撮影。(トリミング済)
よく見ると長野方の行先表示がローマ字無しの表示になっていますね。
安全運転で須坂駅へ急行し(笑)、入換を眺めます。
やはりホームはプチパニック状態だったわけですが、遠くから眺めてみるとかなり貴重な?並びになっていました。
引退後構内に留置されている2000系A編成と営団仕様となった3500系O6編成、2000系D編成が並びました。
すぐに開始される入換えを同じ位置から眺めます。
一旦下り方へ引上げてから留置線へ入線、折り返して車庫へと入っていきます。
そしてなぜこんなにも素早く入換え・入庫が行われるかというと…
定期の下り特急が後を追いかけてくるからなんですね。
さらに後方にこの後のイベント用1000系が待機していたことで長野電鉄特急車3代が並びました。ちょっと無理矢理ですが(笑
初めて見た時、この丸みを帯びた車体に惚れ込みました。
古いデザインと言ってしまえばそれまでですが、これが50年前に設計され、製造された車が今もきれいな状態で走っているというのは奇跡とも言えたのではないかと思います。
引退まで1ヶ月を切りました。最終日まで無事に走りきって欲しいものです。
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