桜咲車両工場ブログ支区

桜咲車両工場の別館。 工作記録を中心に、名古屋から鉄道まみれの日々をお送りします。

北海道旅行~2022夏~その4(保存車巡り編1/2)
【旅程2日目】
さて、前回の記事までで午前中のうちに「現役の鉄道」の撮影を終えました。
というのも、この日の泊地は一気に北上して稚内の宿を取りました。
浜頓別辺りに泊まってみたかったのですが、夏季の繁忙シーズンということで宿代が高かったり、空いていなかったり…一番大きいのは翌日以降の行程にも影響するということもありますが、結局冒険はせず何度か止まっている稚内市街で一泊の行程になりました。

遠軽からはオホーツク海側を延々と北上、かつての名寄本線、興浜南線/北線、天北線に近いルートを経由して稚内へと向かうことになります。

そんな訳であまり石北本線沿線で滞在を続ける訳にも行かず、キハ183の撮影もそこそこに切り上げ北上を開始したのでした。

①名寄本線:中湧別駅跡
遠軽駅から北上すること約16km、営業キロ16.2kmの位置にあった中湧別駅が「道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯」併設の鉄道記念館となっています。


▲駅名表と保存車ヨ3500
名寄本線・湧別支線・勇網線が分岐していた中湧別駅。
2面3線だったとのことで、その2面のホームがどちらも残されており、ヨ3500形車掌車が4両、モーターカー1両がかつての本線に載せられ保存されています。


▲2,3番線ホーム(名寄本線下り・勇網線発着用)に残る看板
跨線橋回りの看板も残されています。
この感じ、言葉に出来ないのですがなんとも良い。


ホームから上り方(紋別方)を望むと、かつて線路のあった場所は道路として一直線に続いています。
モーターカーまで黒塗りにされているのは御愛嬌ですね(笑


▲デッキの窓越しになんとか撮影…
保存車?の4両のヨ3500(4433,4421,4430,4407号車)は2両ずつ溶接され、このように車内が資料館に改装されています。
しかし訪問時は新型コロナ感染対策なのか、老朽化なのか理由は分かりませんが中には入れない状況でした。
折角の保存資料、また見れる日が来るといいのですが…
(恐らく20年ほど前に見ているはずですが、ロクな記録も記憶もあるはずなく。。)

一通り見回った後は再び北上…ですがその前にちょっとだけ寄り道。
保存車があるということで、一旦勇網線に沿って東の方へ進みます。

中湧別鉄道記念公園から約16km、営業キロ16.5kmに位置する計呂地駅に寄り道です。


▲保存車のC58-139+スハ45-17+オハ62-91 @計呂地交通公園

1面2線だったかつての本線の上に3両編成で保存され、屋根付きのC58はかなり良い状態で保存されています。
画像検索をしていると客車2両は青色だった時代もあるようですが、訪れた2022年時点では綺麗なぶどう色2号。



客室内こそライダーハウス用に改造されていますが、外観はほぼほぼ客車時代の姿を残しています。塗膜剥がれなども見られず、綺麗な状態の塗装というのは保存車でも珍しい部類でしょう。
それだけ手を入れて整備されている証左でしょうか。


管理棟となっている旧駅舎には信号テコも残されていました。
「信号取扱の厳正」看板がいい味出してます。



写真の先、網走方面へ進んだ佐呂間駅跡地にも保存車が居るのですが、あまり深追いすると稚内着がずるずると遅れてしまうので今回はここまで。
一通り構内を見て回った後、再び湧別方面へと戻ります。


中湧別駅からは営業帰路4.9kmの位置にあった湧別支線湧別駅。
跡地は文化センターと消防署になり、周辺はなんとなく「駅前通り」の雰囲気もあり。

保存車こそありませんが、「1日2往復しかなかった」支線の終点を詣でたくなり更なる寄り道をしたのでした。
平成元年の廃止まで1日2往復の状態が続いていたようですし、同区間のバスもある中で良く残ったものだと思います。

手元の1980年3月の時刻表では、
中湧別発7:10、17:17
湧別発 7:23、17:31
の2往復のみ。

一方で北紋バスは遠軽~湧別間を13.5往復。

名寄本線の支線とはいえ、この状況でも残っていたのは凄いというか、執念というか…
フレキシブルでない、と考えもできなくはないですが。。。

という訳で湧別エリアでの保存車・廃駅跡巡りはこれぐらいとし、稚内へ向け北上を開始します。

~つづく~

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