桜咲車両工場ブログ支区

桜咲車両工場の別館。 工作記録を中心に、名古屋から鉄道まみれの日々をお送りします。

北海道旅行~2022夏~その5(保存車巡り編2/2)
【旅程2日目】
前回で湧別エリアの保存車・駅跡巡りを終え、宿泊地稚内へ向け北上を始めました。

国道239号線をオホーツク海に沿って延々と北上していくのですが、ここも廃線跡に沿った形な訳でして…

中湧別から興部までは名寄本線、興部からは興浜南線・北線、浜頓別からは天北線…ということで各所の道の駅や駅跡を巡り補給・休憩をしつつ進んでいきます。

まずは名寄本線営業キロで遠軽駅から70.3km、興部駅です。
現在は「道の駅おこっぺ」となっており、施設内に国鉄時代の写真や史料等が展示されているほか、おこっぺ牛乳のソフトクリームを食べることも出来ます。
あまりにも陽射しが暑いので保存車を見に行く前にソフトクリームを調達し、食べながらキハ22を眺めます。


▲キハ22-251(手前)、キハ22-202(奥)の2両が簡易宿泊所などとして活用。

▲キハ22-202側から。綺麗なホームが設置されています。
 高床ホームなので現役時代より乗り込みやすい…?


▲202号車のプレスドア(奥)と251号車のストレートドア(手前)

写真を撮り損ねているのが阿呆すぎるのですが、202号車は7個ベンチレーター、251号車は9個ベンチレーターと外観上に違いの大きい2両が連結して保管されているのが貴重ですね。



道の駅・公園としても手入れが行き届いていて快適な比較的綺麗な状態で維持されているのですが、局所的な劣化はどうしても避けられず。

決して批判的な意図がある訳ではなく、この捲れた部分の断層の観察がまた面白い訳で。
上の①は首都圏色が、②には一般色が見えています。


②を拡大してみると…
表層から順に「(現在の)オレンジ帯→緑色車体色→首都圏色→一般色」と塗り重ねられているのがよく分かります。首都圏色は若干焼きタラコ気味でしょうか。
この車両の歴史に少しだけ触れられたようで、(車体自体へのダメージの心配を除けば)少しワクワクするポイントです。


▲D51型365号機の銘板と動輪の展示
調べて見ると長万部で廃車を迎えているようですが、どのような経緯で遠く離れた興部の地に…?特に説明看板なども見当たらず、謎を抱えたまま北上を続けます。

オホーツク海に沿って、旧興浜南線区間を北上。
興部から営業キロ19.9km、雄武(おむ)駅跡です。
町名は「おうむ」なのですが、駅名は「おむ」。地名と駅名が異なって現役なら悩ましいパターンですね。

駅跡は「道の駅おうむ」となっており、駐車場の北側に記念碑が設けられかろうじてここが駅跡だったことが分かります。
また、道の駅内に写真が展示されており鉄路がここまで来ていた事を今に伝えてくれています。



ここから先、北見枝幸までは興浜線として繋がることが出来なかった未成区間。
国道238号線とほぼ並行するように敷設される予定だったようです。

さすがに未成区間の痕跡巡りは割愛し、一気に北上。
完全舗装の二車線道路が海岸沿いにずっと続いていて、走行自体は快適そのもの。
車が庶民にとって手の届く価格帯になり、かつこのように舗装道路の整備が進んでいけばローカル線はやはり苦しいもの。「車に乗れない」という状況下でなければ車で移動する以外の選択肢はなかなか取りにくいでしょうね。
福祉や就学人口を維持するという側面において、赤字であることを問わず公費を投入して鉄道でもバスでも残しておく意味はあると思うものの、公共交通ですら「単独維持できるか否か」で判断するような国鉄解体以前から蔓延する悪しき思考が未だに蔓延っている状態はJR北のみならず地方の公共交通機関には苦しい環境と言わざるを得ません。
(そんな事を言いながら、今回はその自家用車で国道238号を爆走していた訳ですが…)



さてさて、交通ターミナルでもある浜頓別へ到着。
音威子府~稚内を結ぶ天北線と興浜北線が分岐していた駅となります。

駅跡を含むエリアは綺麗に整理・整備され、中心にラウンドアバウトを備える広々とした空間になっています。
ラウンドアバウトの北東側にあるのが道の駅「北オホーツクはまとんべつ」と浜頓別バスターミナルが同居した施設になっていて、道の駅は2019年に設定された比較的新しい施設です。
トイレを含めて綺麗かつ広々として快適だったのですが、日没も迫り長居することも出来ないので、小休止と売店でお土産購入を済ませ行程を進めます。

ここから先は天北線沿いに北上していくことになります。


▲駅跡は関係ないですが、R283沿いの道の駅「さつふつ公園」

海岸沿いの集落を結んで行く国道238号線に対し、猿払あたりから内陸部に入っていく天北線。
鬼志別駅へ向けてぐっと進路を西側に向け峠越えに入るため、国道238号を走る自分は天北線とは一旦お別れ。
そしてこのあたりで残念ながら日没を迎えてしまいました。


天北線沿いに道道138号線を通って…という案もありましたが、走行距離を短縮して稚内着時間を繰り上げるためもうちょっと北上して、道道1077号線で一気に稚内方面へ西進。

一般的な夕飯の時間は過ぎてしまったものの、飲みに繰り出せるくらいの時間的余裕を残して南稚内のホテルへ投宿したのでした。

朝、北見を立ってから丸一日かけての走行距離は約350km。
名古屋からだと東名経由で東京インターまでが約330kmでして、勿論東名を走っても「やっと着いた!」感はあるのですが、それよりも走りきった感は半端ないです。

翌日に備え早く寝たい所なのですが、確保した宿は旧稚内機関区を見下ろす立地(しかもそれが見.える部屋向き)。
夕食を済ませて部屋に戻って来ても、最終のサロベツ3号の到着を迎えるまで結局寝れないのでした…

~つづく~



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